日本各地で洋風建築が生まれてきた。その大半は記録がないので、建物を通して建築された背景などを推察せざるを得ない。明治維新の頃は、洋風建築に住む人は外国人か一部の金持ち以外になかった。地方の藩や新しい県は、幕府や新政府に頼らないで独自に文明開化を目指していた。そのために独自にお雇い外国人を招き、外国人居住のために住宅を作った。
①-ジェーンズ邸:1871明治4年

熊本藩が明治4年(1871年)に古城(ふるしろ、現:熊本市中央区新町)に熊本洋学校を開設した際に招いたアメリカ人教師リロイ・ランシング・ジェーンズのために造らせた邸宅。
長崎から招いた大工が造ったといわれている。
コロニアル風木造2階建てで、柱頭にはブドウの図柄を刻み、形式は大阪泉布観(せんぷかん、国の重要文化財)とよく似ている。熊本地震で倒壊し、再建検討中。
②-京都ダマシンカンパニー:1871明治4年

旧家辺時計店(現在、京都ダマシンカンパニー)は1871明治4年創業の時計・宝飾の家辺時計店として建てられた。
木骨煉瓦造りの2階建てで、現存する最古の洋風商店建築。当初は、時計台と塔屋が屋根上に聳えていたという。
京町家の居住空間が背後にあり、中庭を挟んで、土間で店舗と繋がっている「京町家の表屋造り洋館」として有名。
③-新島襄邸:1878明治8年
設計者・施工者ともに不明。同志社の教員で医師・宣教師のW. テイラーの助言を得ながら、新島襄自身が設計したとも伝えられている。
洋風住宅としては京都に現存する木造最古のものである。
建物は木造2階建て。外観はベランダをめぐらしたコロニアルスタイル。
さらに分類すればアメリカ西部のモントレー様式。窓には外開き鎧戸をつけ、内側に一筋引きのガラス障子を設置。
一方で造りの基本は和風寄棟住宅であり、壁は柱を露出される真壁造り、間取りは田の字型という、日本的な構造を採用している。欄間や箱階段が作られているなど、日本的要素も取り入れられている。冬に備えて暖炉をしつらえ、当時としては画期的なセントラルヒーティングを取り入れたほか、夏を快適に過ごすために床を高くして風通しを良くする工夫をし、また庇を深くしている。
建築当初は、全室が板張り(フローリング)で作られた。大正期はじめ、八重は1階の洋間を和室(茶室「寂中庵」)に改修している。
木製の腰掛式トイレを設けており、日本における初期の洋式トイレである。

③-インブリー館(Imbrie Hall)1889明治22年
1889明治22年頃:宣教師で明治学院神学部教授のウィリアム・インブリーが長年住んでいたことで知られる日本の東京都内に現存する最古の宣教師館であり、明治学院大学白金キャンパス構内に位置する。19世紀後半にアメリカ合衆国で流行した木造住宅様式を集めた「パターンブック」をもとに外国人が設計したと考えられている。
④-北海道教育大学函館校・北方教育資料館:1914大正3年
