
川口居留地
1868明治元年、神戸、東京と同時期に開港・開市した大坂の外国人居留地で、川口は大坂市街へ遡上する二大航路の安治川と木津川の分岐点だった。大阪居留地、大阪川口居留地とも呼ばれる。
1868明治元年に26区画の諸外国への競売が行われ完売し、直ちに街路樹や街灯、洋館が並ぶ西洋の街へと整備される。居留地に接する周辺地も外国人雑居地となり、1886明治19年には人気に応えて10区画の増設が行われた。しかし、河底が浅いために荷役は神戸港に集中し、神戸、横浜のようには発展はしなかった。
神戸居留地
江戸幕府は、天皇の居住する京都に近い畿内は攘夷気分が強く情勢不穏であるとして、兵庫開港を延ばしに延ばしていた。
しかし、実際は、当時日本の経済的中心地であった大阪から外国人を遠ざけておきたかったからのようである。このため、神戸港は条約締結から10年を経過した1868明治元年1月1日に開港した。
日本人と外国人との紛争を避けるため、開港場や外国人居留地は当時の兵庫市街地から3.5kmも東に離れた神戸村に造成される。
東西を川に、北を西国街道、南を海に囲まれた土地で、外国人を隔離するという幕府の目的に適う地勢であった。
*神戸居留地:ここにイギリス人土木技師J.W.ハートが居留地の設計を行い、格子状街路、街路樹、公園、街灯、下水道などを整備、126区画の敷地割りが行われ、同年7月24日に外国人に対して最初の敷地競売が実施された。全区画が外国人所有の治外法権の土地であり、日本人の立入が厳しく制限された事実上の租界である。当時、東洋における最も整備された美しい居留地とされた


*「十五番館」:1880明治13年頃に建設され、1881明治14年から10年間はアメリカ領事館として使用された。1995年の阪神淡路大震災で倒壊したが再建された。棟札から千葉県成田市から来た大工の風間儀佑と棟梁の源蔵らによって作られたことが判明したが設計者は不明。重要文化財。

*1902明治35年:設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。竣工は1902年。広大な日本庭園を望む南側ヴェランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

*1889明治22年頃:旧ハンター住宅は神戸市北野町にあったものを、
兵庫県神戸市灘区の王子動物園内に移築した異人館。1966年6月11日
に国の重要文化財に指定されている。
現存する異人館の中では最大級であり、明治時代の最も優れた洋風建築
の一つと評価されている。